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広島地方裁判所 昭和54年(ワ)890号 判決

原告 尾藤元子 外二名

被告 広島市

主文

原告らの請求をいずれも棄却する。

訴訟費用は原告らの負担とする。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  被告は、原告尾藤元子に対し二二六二万四八〇九円、同尾藤宮子及び同尾藤正之に対し各二一一二万四八〇九円並びに右各金員に対する昭和五四年五月二六日からそれぞれ支払済まで年五分の割合による金員を支払え。

2  訴訟費用は被告の負担とする。

3  1項につき仮執行の宣言

二  請求の趣旨に対する答弁

主文同旨及び仮執行免脱の宣言

第二当事者の主張

一  請求原因

1  (一) 訴外亡尾藤久(昭和一九年二月一七日生、昭和五四年五月二五日死亡。以下、亡久という。)は、原告尾藤元子(以下、原告元子という。)の夫であり、かつ、原告尾藤宮子(昭和四八年九月一三日生。以下、原告宮子という。)及び原告尾藤正之(昭和五〇年八月二一日生。以下、原告正之という。)の実父であつた。

(二) 亡久は、昭和五四年五月二五日広島市○○○町において、訴外広田明(以下、広田明という。)によつて刺身包丁で刺殺された。

(三) (1) ア 広田明は右事件当時、精神衛生法(昭和二五年法律第一二三号。以下、法という。)三条にいう精神障害者であつた。

イ 広田明は、それまで精神病院に入退院を繰り返していたのみならず、自宅の屋根から道路に瓦を投げつける等の異常で粗暴な行動がみられ、また昭和四八年には傷害事件まで起こしており、そのため近隣の住民から恐れられていたもので、そのまま同人を放置すれば前記のような事件を惹起することは容易に予見しえた。

(2) ア 広田明には右事件当時妻広田文江がいたが、同女は、精神に障害があつて夫に対する保護義務を行うことができなかつたし、同人の実母広田ツネ子は、七二歳の高齢で格別の資産収入もなく、精神障害者である三男の広田教男と同居しているため、広田明に対する保護義務を行うことができず、他に同人の扶養義務者のうちに右保護義務を全うしうる者がおらず、また家庭裁判所による保護義務者の選任もなされていなかつたので、結局法二一条により同人の保護義務者は広島市長であつた。

イ しかるに広島市長は二二条所定の義務を怠つていたため、前記事件が発生した。

(3) 仮にそうでないとしても、

ア 被告は、広田明の住居地である広島市○○○町を管轄する○保健所を設置し、法四二条にいういわゆる精神衛生相談員を配置していた。

イ 広田明は、以前、法二九条による入院措置を受けたことがあり、退院後も前記刺殺事件発生まで通院医療費の公費負担を受けていたものであつて、かつ、前記のとおりその行動の異常性はつとに周知されていたものであるから、右保健所長は、広田明の右のような状態を知つていたか少なくとも容易に知りうべき状況にあつた。したがつて同保健所長は法四三条及び昭和四一年二月一一日付厚生省公衆衛生局長通知「保健所における精神衛生業務運営要領」に基づいて、精神衛生相談員をして訪問指導をさせ、それに基づいて症状の的確な把握をする義務があつたものである。右義務を履行していれば本件刺殺事件発生前に広田明に対し保健所長からの通報によるいわゆる措置入院の手続を採ることもできたし、またそうすべきであつたのに、右保健所長ないし精神衛生相談員の怠慢によつて前記事件の発生を未然に防ぐことができなかつた。

(4) 仮に広田明の実母広田ツネ子がその保護義務者に選任されていたとしても、同人は保護義務の性質内容について全く無知である。

管轄保健所としては、保護義務者に選任された者に対し、保護義務について説明指導する業務を行うべきであつたのにこれを怠つたがため、本来の保護義務者たるべき者による保護義務の適切な履行がなされず、前記事件を招来せしめた。

2  損害

(一) 亡久の損害

(1) 逸失利益 四五八七万四四二七円

亡久は室内装飾品設備品の製造販売設置工事業を営なんでいたが、死亡当時は開業後間がなく収入も一定していなかつたのでその逸失利益は次のとおり算定するのが相当である。

(月収) 二七万四二〇〇円

昭和五二年賃金センサス第一巻第一表の年令

階級別平均給与額を一・〇五九倍したもの

(就労可能年数) 三二年

(新ホフマン係数) 一九・九一七

(生活費割合) 三〇パーセント

(計算)

274200×12×19.917×0.7 = 45874427

(2) 精神的損害 一〇〇〇万円

(二) 原告元子の損害 三五〇万円

(1) 葬儀費用 五〇万円

(2) 精神的損害 三〇〇万円

(三) 原告宮子、同正之の損害 各二〇〇万円

精神的損害 各二〇〇万円

(四) 原告らは亡久の死亡によりその前記(一)の損害賠償請求権を各三分の一宛相続した。

(五) 原告らは本件訴の提起によつて各自弁護士費用五〇万円宛を負担することとなつた。

よつて、原告らは被告に対し、主位的には、広田明の保護義務者である広島市長の義務懈怠によつて被つた損害として、民法四四条ないし国家賠償法一条一項に基づいて、予備的には、被告の被用者である○保健所長ないし同保健所精神衛生相談員の義務違反によつて被つた損害として、民法七一五条ないし国家賠償法一条一項に基づいて、請求の趣旨記載の各金員及びこれらに対する弁済期の翌日(本件事件発生日の翌日)である昭和五四年五月二六日からそれぞれ支払済まで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

二  請求原因に対する認否及び被告の主張

1  請求原因1について

(一)は知らない。

(二)を認める。

(三)について(1)アを認める。イのうち、広田明が精神病院の入退院を繰り返していたこと、原告主張の傷害事件(但し、昭和四八年五月六日に実父に暴行を加え全治約二か月の傷害を負わせたもの)を惹起したことはいずれも認めるが、その余は争う。

広田明は、昭和四五年ころから精神病院への入退院を繰り返していたが、本件事件の直前は、昭和五〇年一一月一九日、法三三条にいわゆる同意入院として、当時の保護義務者広田ツネ子の同意に基づき○○○病院に入院し、精神科専門医の治療を受けた結果、昭和五二年七月三一日には、同病院の院長で右専門医である○○○○○から、家庭生活や社会生活を送ることができる程度に寛解したとの診断を受けて同病院を退院し、以来同病院に通院して治療を継続する一方、○○○○へ勤めに出るかたわら農作業にも従事し、また自動車運転免許を取得し、更に自動車を月賦で購入してその弁済にも努めるなどしており、広田明が本件事件の一か月前に同医師の面接を受けた際にも何ら異常を認められておらず、広田明の精神病の症状は本件事件発生直前まで非常に良好な状態にあつた。

本件事件は、亡久が広田明を気違いであるとして面罵したために誘発されたにすぎない。

(2)アのうち、広田明の妻文江が精神に障害のある者であること及び広田明の実母ツネ子が七二歳で三男教男と同居していることを認めるが、その余は否認する。イは争う。

(3)のうち、アを認め、イのうち、広田明が以前措置入院の対象となつた者であること及び退院後通院医療費の公費負担を受けていたことを認め、その余を争う。

(4)は争う。

2  同2について

(一)ないし(三)はいずれも知らない。

(四)を否認する。

(五)は知らない。

3  被告の主張

(一) 広田明の保護義務者について

(1) 広田明の実母広田ツネ子は、昭和五〇年一二月四日広島家庭裁判所で広田明の保護義務者に選任され、また広田明は昭和五三年六月九日妻文江と婚姻した。

(2) そうすると法二〇条二項により、本件事件発生当時における広田明の保護義務者は第一次的には広田文江であり、第二次的には広田ツネ子である。

すなわち、広田文江は、精神に障害はあるものの、昭和五三年四月三〇日に寛解と診断されて精神病院を退院し、同年六月九日広田明と婚姻し、昭和五四年一月二二日女児を出産し、育児や家事に従事するかたわら外に働きにも出ているのであつて、通常人と同様の合理的判断能力を有していたものというべく、また広田ツネ子も老齢ではあるが、健康であつたから、右保護義務を行い得ない訳ではなかつた。

(3) 仮に広島市長が広田明の保護義務者となるとしても、法二〇条の保護義務者の場合とその保護義務の内容を同一に論ずることはできないし、広田明は、前述のように、昭和五二年七月三一日「寛解」と診断されて精神病院を退院し、以後同病院に通院して治療を継続していたものであり、かかる精神障害者に対して広島市長が生活全般に亘る監督をすることは不可能であるし、かつ適切でないから、その保護義務の内容としては、当該精神障害者が定期的に通院して継続的に治療を受けているか否かを重点として観察することで足りるものと解すべきところ、本件にあつては、その点につき広島市長に懈怠はない。

(二) 保健所長ないし精神衛生相談員の不作為について

(1) 不作為の違法性について

ア 法四三条は保健所長の権限を定めたものに過ぎないので、法的作為義務を課した規定ではない。

イ 精神衛生相談員は、医師を主体とするチームの一員として、医師の医学的指導のもとに、医療を受けていない精神障害者に治療を受けさせることを主目的として患者及びその家庭に対する個別指導を行うものであつて、広田明のように既に専門の精神医の治療を受けている患者については、医療に関する指導を行う必要がない。

ウ 行政権限の不行使が違法として国家賠償の根拠となるためには、当該公務員に損害を被つた者に対する法律上の作為義務があることが必要であるが、法四三条は原告らに対する義務を規定したものではなく、仮に同条が作為義務を規定したものとしても、それは精神障害者に対する義務であつて、同条によつて原告らが受ける利益は単に反射的なものにすぎない。

(2) 義務違反の不存在について

広田明の本件事件直前の精神病院入退院は、前述のように昭和五〇年一一月一九日法三三条にいわゆる同意入院、昭和五二年七月三一日「寛解」による退院であるから、仮に同人が法四三条所定の訪問指導の対象者に該当するとすれば、同条にいわゆる「その他精神障害者であつて必要があると認めるもの」としてであることになるのであるが、右退院に際し、当該病院長が広島県知事あてに提出した退院届には訪問指導の必要がない旨記載されており、右退院届の写しは被告代表者に送付されている。そして保健所長ないし精神衛生相談員が訪問指導をしなかつたのは、右の専門医の意見に従つたものである。仮に右の専門医の意見如何にかかわらず、保健所長ないし精神科に関する講習を短期間受けただけでその資格を授受されたにすぎない精神衛生相談員が、訪問指導の要否を独自の判断に基づいて決定すべきものとすれば、そのことは精神障害者の人権保護の観点からむしろ問題があるというべきである。

第三証拠

一  原告ら

1  甲第一ないし第四号証、第五号証の一ないし五

2  証人木之本好郎、同広田ツネ子

3  乙第四号証の一ないし四の原本の存在は認めるがその成立は知らない。その余の乙号各証の成立はいずれも認める。

二  被告

1  乙第一号証、第二号証の一、二第三号証、第四号証の一ないし四、第五ないし第一二号証

2  証人木之本好郎、同広田ツネ子、同大寺伸行

3  甲号各証の成立はいずれも認める。

理由

一  請求原因1について

1  同(一)の原告らの身分関係については、弁論の全趣旨によると、亡久は、昭和一九年二月一七日に生まれ、昭和五四年五月二五日死亡したもので、原告元子の夫であり、原告宮子及び同正之の実父であつたことがそれぞれ認められ、右認定に反する証拠はない。

2  同(二)の亡久の死亡の事実については当事者間に争いがない。

3  そこで、同(三)の保護義務者の地位の存否と帰責事由の有無について判断する。

(一)  争いのない事実

広田明が右事件当時精神障害者であつたこと、同(1)イのうち、広田明がそれまで精神病院に入退院を繰り返していたこと及び昭和四八年に傷害事件を起こしたこと、(2)アのうち、同人の妻広田文江が精神に障害のある者であること、被告が広田明の住居地を管轄する〇保健所を設置し、精神衛生相談員を配置していたこと及び(3)イのうち、広田明が以前措置入院の対象となつたことがあり、限院後も通院医療費の公費負担を受けていたことはいずれも当事者間に争いがない。

(二)  右争いのない事実にいずれも成立に争いのない甲第一、第二号証、乙第一号証、第二号証の一、二、第三号証、第五ないし第一一号証、いずれも原本の存在については争いがなく証人広田ツネ子の証言及び弁論の全趣旨により真正に成立したものと認められる乙第四号証の一ないし四並びに証人木之本好郎、同広田ツネ子及び同大寺伸行の各証言を総合すると次のような事実が認められる。

(1) 広田明の精神病院入院歴等について

ア 第一回目の入院(昭和四五年一〇月一三日から昭和四七年八月三一日まで)広田明は、家財道具を勝手に入質し、また日本一の商事会社を設立すると言い出すなど誇大妄想の傾向がみられ、自宅の屋根を葺きかえるのだと言つて屋根に上り、瓦を路上に投げつけるといつた奇矯な行動をとつたほか言葉及び思考内容がすべて支離滅裂であつたことから、精神分裂病との診断を受け、法二九条により○○○病院に措置入院となつた。

イ 第二回目の入院(昭和四八年五月九日から昭和五〇年六月三〇日まで)広田明は、両親と口論していたところ、実父に暴行を加え全治二か月の肋骨(二本)骨折の傷害を負わせたことから、精神分裂病と診断され、法二九条により○○○病院に措置入院となつた。

ウ 第三回目の入院(昭和五〇年一一月一九日から昭和五二年七月三一日まで)広田明は、昭和五〇年一一月一九日○○○病院に来院したところ、一旦帰りかけながら同病院の周囲を徘徊し、行動にまとまりがなく不穏であつたため精神分裂病と診断され、保護義務者広田ツネ子の同意を得た形で法三三条によつて同病院に入院となつた。

そして同人は退院の際、主治医で同病院長の木之本好郎から家庭的寛解と診断され、一、二か月後には社会復帰が可能と目される状態になつていた。また広田明の自宅が同病院に近く、同病院長としては、外来のみで十分治療していく自信があると判断したので広島県知事宛の退院届の「訪問指導の要否及び意見」欄に「否」と記載した。

なお、広田明は、本件刺殺事件の直前は、昭和五四年二月一日に同病院に来院して向後四週間分の投薬を受け、同年四月二五日にも他の用事で来院しているがその際右木之本は、広田明につき若干体重の減少を認めはしたものの、特段の異常を感じていない。

また後記認定のとおり、同居の母広田ツネ子から昭和五二年一〇月一一日から昭和五四年二月一一日までの間、精神障害者通院医療費公費負担申請書が提出されたほかには、家族らから訪問指導の依頼もなく、結局広田明に対する訪問指導は全く行われなかつた。

エ 第四回目の入院(昭和五四年六月一二日以降)

広田明は、本件刺殺事件を契機として法二九条により○○○病院に措置入院となつたが、入院時、言うことが非常に支離滅裂で、顔貌も表情に乏しく、幻覚等もみられ、相当悪化した精神分裂病の状態にあつた。なおその悪化については本件刺殺事件自体による影響が大きいと認められる。

オ 広田明の場合、その病状は、知能ないし人格が保持されつつ、一定の期間をおいて再発を繰り返すという型に属するものであるが、生来的に衝動的な性格であるところに精神分裂病の彩りが加わつている。(なお、精神分裂病患者一般が傷害事件等惹起しやすい傾向があるといつた関連性は医学上明らかにされていない。)

(2) 本件刺殺事件前後の状況について

ア 広田明は、昭和五二年七月三一日に退院した後、自動車運転免許を取得し自家の農業を手伝うかたわら、昭和五四年四月ころまで○○○○という会社に勤務し、自動車で通勤していたが、同僚と口論して退職してからは自宅で内職と称する手仕事をしていた。右自動車についてはその代金を自ら月賦で支払つていた。

イ 広田明の精神状態については、右事件直前ころ、ツネ子において退院時と比較して少し気がいらいらしてきているのではないかと思い、嫁の広田文江にその旨話したことはあるが、同女が別に変つたことはないと言うのでそのままにしておいた程度で、他人に暴力をふるうとか、幻覚を訴えるようなことはなく、右事件当日のツネ子との会話の内容も異常な点はなかつた。

ウ 隣で営業していた亡久との関係では同人の駐車方法及び騒音等の関係で、同人に対し広田明は必ずしも好ましい感情を抱いていた訳ではなかつた。

エ 昭和五四年五月二五日、偶々亡久がその店舗前の路上で近所の知人中井順と雑談しているところに広田明が行きあわせ一緒に話をするうち、亡久が右中井に対し、「きちがいを相手にするな。」と言つたところ、広田明は、自宅に立ち戻り包丁を持ち出して亡久にいきなり襲いかかり、その身体をメッタ突きにして刺殺した。

(3) 広田明の保護義務者たりうべき者について

ア 広田明には後見人はいない。

イ 広田明の妻文江は、昭和五三年六月九日婚姻したものであり、それ以前に精神分裂病で○○○病院に入院したことがあるが、その退院時には「非常にいい状態」に治つていた。結婚生活においては健康で、家事についても同居の姑ツネ子に任せないで自分で処理していたほか、昭和五四年一月二二日一子を儲けた後も、本件刺殺事件当時まで子供を預けていわゆるパート勤務もしていた。なお、昭和五四年七月二七日本件によりショックを受け精神分裂病の再発をみて、○○○病院に入院した。

ウ 広田明の実母ツネ子(明治四〇年三月一四日生)は、老齢ながら健康で、明と同居してきており、農業を営なむ一方、亡久に店舗を貸していた。

右ツネ子は、昭和五〇年一二月四日広島家庭裁判所において広田明の保護義務者に選任され、昭和五二年一〇月一一日、昭和五三年三月一〇日、同年九月一二日、昭和五四年二月一一日の四回にわたつて法三二条により○保健所長を経て、広島県知事に対し広田明のための通院医療費の公費負担の申請をし、また昭和五〇年一〇月三〇日及び昭和五四年一〇月四日には、広島市○保健所が主催した精神衛生教室に参加して広田明の保護者として積極的な態度を示していた。

また右ツネ子は末子の広田明に対し盲目的な愛情を示すことがあり、○○○病院入院中も定期的に面会し、あるいは担当医師の指導を受けていた。

(三)  請求原因1(三)(2)(広田明の保護義務者)について

(1) 思うに、法は精神障害者の治療と保護を目的として制定されたものであつて(法一条参照)、法二〇条以下にいう保護義務者の制度についてもこの観点から考察すべきである。

従つて、ある精神障害者の保護義務者を確定するにあたつては、果して当該精神障害者に治療を受けさせかつ保護を全うするにつき最も適切な立場にある者は誰かということを主眼として判断すべきものと解される。

もつとも、法二二条一項は保護義務の内容として精神障害者による自傷他害防止のための監督を掲げているが、その「他害」防止を強調してこの観点から逆に保護義務者たりうる適格性を云々することは、前述の法の立法趣旨に悖り、精神障害者の社会生活への適応を阻害するおそれがある。

(2) そこで本件についてこれをみるに、本件刺殺事件発生当時、広田明には後見人がなく、配偶者文江があつたので法二〇条二項から、まず文江が明の保護義務者たりうるかについて検討する。

ア 前認定のとおり、文江には精神病院入院歴はあるものの、その退院時の状態及びその後の経過は良好で、明との間に一子を儲けて育児、家事一切を支障なく行つていた他、いわゆるパート勤務に従事したりしていたのであるから、同女は社会的寛解の状態にあつたものと推測される。もつとも、本件刺殺事件後の昭和五四年七月二七日再び○○○病院入院に至つているが、この症状悪化については、本件刺殺事件及びこれに伴なう夫明の入院等家庭環境の激変が大いに影響を及ぼしていることは容易に推測できるから、右入院の事実のみを取り上げて文江が本件刺殺事件発生当時精神分裂病によつて、夫明に対する保護義務を全うし得ない状態であつたということはできない。また文江に法二〇条一項各号にいう欠格事由があつたと認めるに足りる証拠もない。

イ 次に広田ツネ子については、前認定のとおり、保護義務者に選任される以前から、明の処遇に腐心するとともに、右選任後も入院中の明に対する面会、担当医師との面接、通院医療費の公費負担申請等を通じて明の面倒を看てきており、また健康でもあつて、生活に困窮していたという事情もない。

ちなみに、家庭裁判所による保護義務者選任の審判の効力は少なくとも明が退院後も治療を受けている間は消滅するものではなく、また先順位者たる文江の出現によつてもツネ子の保護義務者たる地位は後順位となるに過ぎないものと解すべきである。

ウ そうすると本件刺殺事件発生当時の明の保護義務者は、第一次的には文江であり、第二次的にはツネ子であつたもので、少なくともツネ子において保護義務を行うことができない事情を見出すことができない本件にあつては、広島市長が右保護義務者となる余地はないというべきである。

(四)  同1(三)(3)(保健所長もしくは精神衛生相談員の義務懈怠)について

(1) 法四三条は「保健所長は-精神障害者であつて必要があると認めるものについては、必要に応じ、(精神衛生相談員ら)-をして、精神衛生に関する相談に応じさせ、及びその者を訪問し精神衛生に関する適当な指導をさせなければならない。」と規定しているので、本件において広田明が右にいう「精神障害者であつて必要があると認めるもの」に該当するか否か、また該当するとして、精神衛生相談員に右のような職務を行わせる必要があるか否かの各判断については、管轄保健所長に権限が与えられ、同時に右権限の行使はその裁量に委ねられているものと解すべきである。

(2) なお、被告は仮に管轄保健所長に義務が認められるとしてもそれは精神障害者である広田明に対するものにすぎず、原告らに対するものではないと主張する。

しかしながら後述のとおり裁量権限の不行使が著しく不合理と認められる場合には違法として損害賠償責任の根拠となるものであつて右権限の行使を受けるべき者が誰であるかは右の合理性の判断に影響を与え得るものではあつても、それ以上の意味を有するものではないと解するのが相当である。

(3) そうして、かかる場合、管轄保健所長の右裁量権限の不行使が違法となるためには、それが客観的な合理性を著しく欠くものと認められなければならないと解されるところ、前認定の事実によれば、

ア 広田明は生来衝動的な一面を有しており、これに精神分裂病の影響が加わつてその傾向が強まつてはいたが、昭和五二年七月三一日○○○病院を退院するころは社会的寛解も間近い家庭的寛解の状態で、専門医の判断としても外来のみで十分治療が足りるものとされ、その退院届には訪問指導が不要である旨記載されて広島県知事宛提出されたこと(その写は被告宛送付されている。)、本件刺殺事件の一か月前の状態についても専門医の所見では異常と認められなかつた。

イ 前述の法の趣旨に鑑みるときは、右保健所長の裁量権限の行使は、第一次的には当該精神障害者の治療ないし社会生活への適応を目的として行われるべきものであつて、精神衛生相談員による訪問指導も精神障害者本人に関する相談、医療の継続または受診についての勧奨、職業に関する指導、生活指導、環境調査等の社会適応援助を行うとともに、家族自体の問題についての相談および衛生教育を行うものである。

(「保健所における精神衛生業務運営要領」昭和四一年二月一一日衛発七六号各都道府県知事あて厚生省公衆衛生局長通知参照)

そして、本件刺殺事件まで定期的に広田ツネ子から通院医療費の公費負担申請が出されていたことから管轄保健所においては広田明が継続的に治療を受けているものと認識していた。

のであるから、以上の事実に既に認定した本件刺殺事件直前における広田明の状態及び右事件に至るまでの経緯を参酌すれば、そもそも右事件直前ころ広田明の病状が悪化していたとはにわかに断じ難いから、果して右悪化によつて本件が発生したものであるか、また広田明ないしその家族に対する訪問指導によつて右発生を回避し得たかについてはいずれもこれを肯認するにつき躊躇せざるを得ない。

そして管轄保健所としては、退院直前時における専門医の判断が訪問指導を不要としているほか、通院医療費の公費負担申請が定期的になされていることから継続的に治療を受けているものと推認したことはあながち不当とはいえないので、少なくとも広田明に治療を受けさせるための訪問指導を不要と考えたことをもつて非難することはできない。

そうすると、本件刺殺事件直前の広田明の症状が自傷他害のおそれを認め得るほど悪化していたとは認め難く、かつ訪問指導が右事件回避のため有効かつ適切な手段であつたということができない本件においては管轄保健所長ないし精神衛生相談員が広田明及びその家族の訪問指導をせず、あるいはさせなかつた不作為につき、これを未だ違法と評価するには足りないといわざるを得ない。(もつとも、以前は衝動性の強い精神障害者であり、かつ通院医療費の公費負担を受けている者であること等、広田明を訪問指導の対象とすることはその目的から考えて望ましいことであつたと考えられる。)

(五)  同1(三)(4)(保護義務者に対する説明指導義務の懈怠)について

原告ら主張のような保護義務者に対する説明指導が行われることは望ましいことである(法二条参照)けれども、法はこれを公務員に対する具体的義務として課している訳ではなく、また説明指導という事柄の性質上、条理によつてこれが具体的義務に転化するということも考えられないから、管轄保健所においてかかる義務を負うとはいえない。

二  結論

そうすると、その余の点につき判断するまでもなく原告らの本訴請求は理由がないのでいずれもこれを棄却することとし、訴訟費用の負担につき民訴法八九条、九三条一項本文を適用して主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 植杉豊 裁判官 山崎宏征 橋本良成)

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